木曜日, 7月 31, 2008

陶器師と争わない陶器


先月、Marianaと一緒に三渓園の陶芸教室で造ったお鉢が焼き上がりました。

写真 by Stephen。

これはわたしの優れた腕と意に背いて、
少し歪んだ器となりましたが、
ひとつ良いところは、
決して文句を言わないことです。

「何故わたしを、カップにしなかったのか」とか、

「もっと、大きくしてくれればよかったのに--」とかって。

一見、知恵が無いようにみえても、
あなどってはいけません。

こんな風にすましていますが、
造り手であるわたしが、
愛による意志で、
時間(1時間)とお金(1,000円)を使って造ったのだ、
という事を、よーく知っているのです。

こう見えても、なかなかの知恵ものなんだから。


photo by Stephen Lebovits

木曜日, 7月 24, 2008

被造物であることの幸い

頭の上の空が、降ろうが 照ろうが
命あるものは みな過も不足もなく

それぞれ完全な姿を見せている。
自分が完全なものとして造られたということを
おそらくは知らないままで。

手も口もない
小さいものたちが

そのままの姿で
神との蜜月を
静かに 楽しげに 生きている。

photo by Remo. Peter. Marinelli


土曜日, 7月 12, 2008

地下鉄/渋谷駅で

家から駅までの道路が、川になるほど大雨が降った4-5日前の朝のこと。

地下鉄/渋谷駅で電車を降りたら、
通勤通学の人々が行き交う雑踏の中、
なんと、駅員があのどこでも500円で売っている”透明傘”をさして立っている。

What happened??
一瞬、自分の目の機能を疑った。

「ただいま、雨漏りしておりますので、お気をつけ下さい!!」

彼はくりかえしくりかえし叫びながら、
ドアから溢れ出てくるお客に傘を傾げている。

もう、必死ね。

ケイタイで写真を撮りたかったのだけど、
人ごみに遠慮して、できなかったのが心残りでしかたがない。

たとえド突かれても、わたしは撮るべきだった。

場面がどこか滑稽であったにも関わらず、
大まじめに任務を果たしている彼は
実にcuteだったもの。