木曜日, 12月 30, 2010

Matteo Falcone/ review

Matteo Falcone by Prosper Merimee


Prosper Merimee who born 1803, French was a scholar of law, history, and also a member of the curia.

He wrote “ Carmen,” “ Colomba,” “ Matteo Falcone” and so on during his inspection tour.

The setting of “Matteo Falcone” is a small village in Corsica in the early 19th century.

Mateo was a shepherd and expert shooter.

When he was away, somebody came to his house seeking a place to stay and asked his young son to shelter. He gave the son

one silver coin.

Matteo’s son accepted the coin and sheltered him in piled straw. After that, some military policemen came and asked him

whether he saw the stranger or not.

At first, the boy said “ No,” but then one of the policeman took out a silver watch from his pocket and dangled it

in front of his face and said “ Don’t you want this?”

For a moment he didn’t move. Finally he took it and pointed the piled straw.

The policemen pulled the criminal out of the piled straw and lead him away.

Just at that moment , Matteo came back home and met them at the edge of his garden.

The criminal shouted to him “ This is the home of a rat. Your son is a rat”

Matteo saw the silver watch in his son’s hand and quickly understood what he had done.

He took his son to short far from his house and shot him against his wife’s pleading.

Matteo’s son was only ten years old and he was the yougest child , born after two sisters.


I was ten years old when I read this short story.

In those days, the most important things for me were how to posse everything in the whole departmentstore, and how to

conquer my fear of thunder . I had become bourgeois like everyone else.


So this shocking story made an air hole in my small mind.

Anyway, I understood that there are more important things than life or money in the world.

I never forget that “Matteo Falcone” is the first one which destroyed a synapse of nerve cell of brain.

Since I became an adulty, I learned that a lot of wanted men came into Corsica in those days, because the geographical

offered good hiding place .

Matteo had strong faith in his region I think.

土曜日, 12月 18, 2010

ふむふむ--ありそうな話だわい

深夜レストランで、アルバイトの学生らしき若者にカツサンドを注文した。すると、その若者は「ライスを付けますか?」と訊くではないか。私は、カツライスと聞き間違えたのかと思い、「だってカツサンドだよ」というと、ムッとしたらしい若者は又も「ええ、ですからライスを付けますか」という。
面倒になった私は、「おう、ライスも付けてもらおうじゃないか」といって、カツサンドにライスが付いてくる光景を想像しながら、楽しみに待っていたが、何か厨房でいわれたのか、ライスは付いてこなかったが、若者は、ケロットとした顔でカツサンドを持ってきた。
以前、私の友人は田舎の町でウインナコーヒーを注文したところ、冗談ではなく本当にウインナソーセージが入っていたという。
まぁ、これに比べれば、、、、、ってところかな。

-----yahoo Japanにでていた話です。

私が学生の頃は、中華の店には「ラーメンライス」という堂々としたメニューがあったっけ。

土曜日, 11月 27, 2010

Good News !!



来る。見る。買う。

Thanks.

土曜日, 10月 09, 2010

一枚のゴッホ

久々に美術館へ行ってきました。

世田谷美術館のポスターにはゴッホの絵(写真)が出ているので、てっきり「ゴッホ展」だと、思い込んでいたところ、行ってみれば「スイスの美術館のコレクション」の展示でした。
その中の一枚が、ゴッホの描いたものだ、というわけです。

これが、それです(郵便配達人/ジョセフ・ルーラン Josep Roulin 1888 )

ゴッホは絵を描くのがとても早くて、一日、もしくは2〜3日で仕上げたものがほとんどで、画家生活10年で800~ 2,000点、亡くなる前の一ヶ月で70枚描きました。また、膨大な量の手紙も書きましたが、発表されている物を見ると、非常に頭が回って思いやりの深い面がある一方で、他者から見れば、我が儘としか思えないような発想、言動もする、というような激しい気性の持ち主でもあったようだ。気分障害(躁鬱)であった、とも言われています。

(Vincent Willem van Gogh 1853/3/30 誕生)

ゴーギャンとけんかをして自分の耳をナイフで削ぎ落とした、とか、何度もてんかん発作をおこし、その度に精神病院に入院した、37歳の時ピストル自殺をした、等々記録されていますが、「耳の事件の原因はゴーギャンとのけんかではなく---」「銃創の位置と状態を見れば自殺ではない」などと書かれた本もあり、真相は未だに不明です。

私は高校生の頃、ゴッホの描いた「ひまわり」を見て衝撃を受け、私も描いてみたい、とさっそく油絵の具を買ってもらってアトリエに習いに行き、一時期、せっせとへたくそな静物画を描いていました。
その頃は何も考えませんでしたが、今思えば彼の絵に現れている、対象物への真摯な誠実さとか、表現する意欲、どんな物でもないがしろにしない緻密さ、などが私の心に強い刺激となって、絵を描きたい思いが湧いてきたのだと思います。--と、わかったようなことを言っていますが、今はさっぱり描けなくなってしまい、I'm ashamed of myself です。


Anyway, it was beautiful day.
I enjoyed every exhibition and walked in the park with Gogh.

木曜日, 10月 07, 2010

「79歳からの辞書」


いい話を聞いた。

もうとうの昔に亡くなったけど、八代目桂文楽という落語家がいた。

彼は晩年は耳が遠くなって、聞こえなくても聞こえた振りをしていたが、どうしても返事をしなければならないときがたまにある。
そんなときは大きくうなずいて

「近頃はたいていそうだってねえ」

---と言えば、たいていの用事は足りる、と言っていたそうだ。
     

うん、100%とはいかないけど、かなりカバーできそうだ。

「B型、魚座ですが、なにか?」(自分の住所(血液,星座)をそれぞれに入れて使う)
「今までのことは、きれい、さっぱり水に流してくれい」
「そりゃあ、難儀だねえ---」
「はい、そういう時もありましたさ----」
「あれはもう、済んだ話。もう、いいから---」

----と一緒に、
自作参考書:
「みんなの日本語/後期高齢者版!!79歳からのフレーズ10!!」に入れておこう---っと。

あっ、ひとこと言っておくけど、これはね、誰が使ってもいいのよ。

日曜日, 9月 26, 2010

ここで夏を見送る( 歌詞)



ここで夏を見送る


作詞:佐々木幸男
作曲:佐々木幸男
編曲:大浜和史


空はとてもいい、いい色 それに雲は高く
さあ早く起きろよ 
グズグズしてると遅れる
髪を洗い 念入りにお化粧
それが済んだら 波止場行きの
電車飛び乗り 防波堤まで
ここで夏を見送る
君はうっかり帽子を忘れて
僕にやつあたりのしどおし
シー・ユー・アゲイン いうつもりだったね
空はとてもいい、いい色 それに雲は高く
さあ早く起きろよ 
愚図愚図してると遅れる

君はうっかり帽子を忘れ
僕にやつあたりのしどおし
シー・ユー・アゲイン いうつもりだったね
空はとてもいい、いい色 それに雲は高く
さあ早く起きろよ 
グズグズしてると遅れる
空はとてもいい、いい色 それに雲は高く
さあ早く起きろよ 
ここで夏を見送る

木曜日, 9月 16, 2010

「倒暑」のあと、See You Again


死ぬ程暑い。

こんな暑さは「倒暑」というそうだ。
夏が始まったばかりの頃は「あっぱれだ」なんて褒めていたが、
今や「もう、いいでしょう?」と言いたい気持ちです。

文字通り倒れてしまいそうな今年の夏も、そろそろ終わりに近付いてきたので、ヤレヤレですね。

30年も前のことですが、佐々木 幸雄、作詞作曲、自演の「ここで夏を見送る」という曲がささやかにはやった。
磨りガラスの上を蝉が歩いているような、乾いたかそけき声で彼が歌うことによると、
優しげで何でも言うことを聞いてくれるいい男と(多分、彼自身のことでしょう)、
何でも言うことをきかせる女がいる。
今はいいけど、こりゃあ、いずれ別れるな--と予想される歌です。

「空は、とても、いい色。
それに、雲は高く♬---
さあ、早く、起きろよ、
ぐずぐずしてると、遅れる。

髪を洗い、念入りにお化粧---
それが済んだら、波止場行きの、
電車、飛び乗り、防波堤まで、
ここで、夏を見送る。

君はうっかり帽子を忘れて--
僕に八つ当たりのし通し--
See you again いう つもりだったね--」と、

のんきな歌である。

場所の設定は北海道なので、夏とはいっても空気は清々しい(らしい--)
別れが示唆されているとはいえ(してないか)、ゆるやかなリゾート気分にさせてくれるので、私は今でも大好きです。

彼は歌詞の中で、去って行く夏に向かって「See you again 」と、言っている。

夏が好きな私も去年まではそう言えたが、
死ぬ程暑い今年はとても言えませんです。

こんな状況の中、私はいいことを思いついた。

私の住んでいる集合住宅にはウチの居住部分の南側に、奥行き2m 弱のバルコニーが10m 程の長さでついていている。手すり越しに見えるのはテニスコートがいくつも入るような大きな駐車場で、こちらの敷地の端には、深緑色の葉がこんもりと茂った大きなポプラだか、樫だかが植えられていて、ウチのバルコニーを目隠ししている。ウチから多摩川で行われる花火はみえるが、外からは誰も見ることができない、という非常に恵まれた環境なのです。なにしろ南側、お向かいの家は駐車場と道路を隔てて、100m近くも離れているのですから。

そうは言っても、たいして広くもないバルコニーなので、いつもは洗濯ものを干すことだけに使っているが、私は今年の暑さに発奮して、ここに寝椅子とフロアースタンドを置いて、夜空を見上げ、寝ながら本を読めるようにセットした。

シャワーで汗をさっぱりと流し、背もたれを25度に傾けた長椅子に,私は静かに横たわる。暗いので足下が危ないからね。
フロアースタンドの明かりが手元だけを照らすように調節し、冷たい飲み物と読みかけの本を2~3冊用意する。バルコニーの隅に置いてある、瀬戸の火鉢の縁のたまったホコリを払い、そこに置くのだ。

遮るものが何もない夜空を見上げて息をすると、いつもの何倍もの空気が肺に入ってくる。
「夜空全部が吹き出し口でした。」とでも言いそうな大きな風が、長々と横たわった私にぶつかって来る。そして、風に吹かれたポプラだか、樫だかの葉が、カサカサと乾燥した音をたてて、耳に入って来ると、頭の中の回線は切り替わって、お店の売り上げのことも、ローンのことも、老後のことも、なにもかも、ゼーンブ、星のきらめく暗藍色の空の彼方、涼しい銀河の果てに吹っ飛んでしまった。

この晩に何を読んだのか、ぜんぜん、記憶にありません。
何故って、いい気持ちで、すぐに眠ってしまったようなのね。
See you then.

土曜日, 8月 14, 2010

君子須求之

Internetでおもしろい品物をみつけた。

「おばけ探知機」またの名を「ゴーストレーダー」
もちろん、おばけを探知するものである。
2,000円前後から」20,000円前後まで、と幅広い。

20,000円近い方の物はその道の人たちが、何年も研究を重ねて作ったものだ。
その道、というのは、霊界関係でなく、機械とかコンピュ–タ–関係者ね。

超常現象が起きる時に発生すると言われている未知のエネルギー体を摘出する、というもので、温度をはじめ、磁場、光、風速、体抵抗、等々へのさまざまなセンサーが搭載されている。
”ゴーストボイス収録機能”や、”お守り機能”が搭載されているのもあるらしい。
すごいね。

霊物が出る可能性の高い丑三つ時に、これを持って探検にいくのだ。

---で、出ちゃったら、どうするか!!

まず、ガラスコップに除霊対象物を入れて、紫外線LEDの光をあて、物質表面の活性化を行い、同時に弱い”ゆらぎ低周波”を与えて改質を行う。
----というわけで、”除霊機能付き”なのです。
冷凍庫の霜取り装置と同じようなものね、きっと。

これが一般化すると、商売が行き詰まってしまう、という業種もでてきそうだけど、
例えば、「水子供養業」とかですが---。
どういう対策をとるのかな??

by the way.

再び netを見ると、「ヘヤテコ」というのがある。
何だ!!、とお思いでしょうが、なんでもないのよ。
ちょっとおしゃれなステテコのこと。

柄がついていたり、男女兼用だったり、家でそのままでいてもおかしくない、という優れものです。
こちらは3,000円くらいだから、
ゴーストレーダーに比べれば、手軽に涼しくなれますね。

水曜日, 8月 11, 2010

男の子のDNA


あっぱれな暑さが続いています。

学校が夏休みに入っているので、
普段に比べると、お母さんに連れられてやってくる子供の数が
一段と多い。

昨日はWendyさんに連れられてふたりの男の子がやってきた。
8歳のお兄ちゃんは日本語も上手で、わたしと互角に話す。

電車が大好きで、なんでも、よくまあ 知っていること!!

実は、小田急線の急行、準急、local の区別は、とっても複雑で、
わたしは今でも乗りこなせないのだが、
彼は完ぺきに理解していた。

「なんで、そんなに知っているの?」
と聞いたら、
「電車の博物館に行った時、小田急線の下敷きを買ってもらって、
それを見ていたらわかるようになった」
「下敷き???」
「うん、5,000円で買ったよ、おばさんも買って、毎日見ていれば、
きっとわかるようになるよ。
大きいのは50,000円だったけど5,000円ので大丈夫だよ。
絶対、買ったほうがいいよ」
と勧めてくれた。
「5000円は高いなあー」
と言うと、
「でも、分かるようになるよ。 買いなよ」

小田急線のあの複雑極まる、
しかし、彼にとっては何でもないシステムがわからない私を、
彼は本当に気の毒に思ってくれたみたい。

「小田急線」はともかくとして、
「人生で、気をつけなければいけないこと」
---を箇条書きにしてある下敷きが売っているならば、
わたしは、今からでも買いたい。

木曜日, 7月 29, 2010

ありがとう

(二ヶ月近くもブログを更新しないで、いったい何をしていたのでしょうね?)

今日は雨が降って、やっと一息つける、というところかな。

ところで、世の中は、少しは景気が良くなってきたようだ、とは聞いているけど、
高田馬場あたりでは、まだまだ恩恵が薄いようだ。

今や、お客さんから「お土産だよ」と渡されるのは、
駅前でもらうポケットティッシュがほとんどだし、
この前は、
「電車の中で、誰かが忘れていった物だよ。you が好きそうだと思って、持ってきた--」と、
渡されたのは、派手な花柄の少し色の褪せた雨傘。でも,ちゃんと使える。

気持ちが嬉しいじゃあない。Nealさん、ありがとう
応援歌でも歌ちゃおうかな。

木曜日, 6月 10, 2010

Anasutasia, tell me who you are

「Anastasia The Lost Princess /アナスタシア--消えた皇女」by James Blair Lovell/広瀬順弘訳 を読んでいる。
ロシア革命の翌年に幽閉先のシベリアで殺害されたロマノフ王朝最後の皇帝、ニコライ二世の第四皇女であるアナスタシア/と自称する女性の記録である。一家殺戮から逃れて、精神と体を病みながらドイツにたどり着き、自殺か誤りか不明だが、川に落ちたところを助けられてから人々の関心が集まり始め、多大な支援と、同時に激しい疑いをも受けながら、あちこち住まいを変えて、やがて年老いてからアメリカに渡って良い配偶者を得、1984年にジョージア州の病院で最後を迎えた、という内容である。

internet で見ると、DNA鑑定では、「私はアナスタシア」と言って、たくさんの援助者に生活を支えられてアメリカで亡くなった彼女が本物の皇女であった、とはいえない、とされている。が、いくつかの秘密文書がデンマークやイギリスに保管されたまま誰の目にも触れないままになっていることや、DNAや遺骨の鑑定も疑問を入れる余地がある、などの見方からすると、いまだに真相はわからない、というところなのだろう。

「私はアナスタシア---」と言っていた彼女がもし偽物ならば、詐欺師としては大成功した、ということだ。
もっとも、そういうことをドイツ政府に申し出た者は30人を下らないし、特殊な病院にはニコライ二世やその皇太子が何人もいた、というが。

それにしても、彼女を「本物のアナスタシアだ」と信じた人々の献身的な金銭的、精神的支援には目を見晴らされてしまうのだ。
人は自分の聞きたいことを聞いて、信じたいものを信じる、と言われているから、ひどい殺され方をした皇帝一家の中で、たとえ一人でも死を逃れて生きているならば、人々は何か救われる思いがして、これをなんとしても現実化しようとするのだろうか??
多くの日本人が自分のやりきれない思いを弁慶や義経の中に見いだして、なんだかんだ、と肩入れしているのとどこか似ている気がする。

アメリカの一部では未だにプレスリーは生きている、とされているらしいし。

それはともかくとして、
ニコライ二世一家が幽閉されていた部屋に、皇女たちが使っていた聖書が置いてあったそうだ。
次の祈りが余白に書かれていたという。

合計で8kgのダイヤモンドを縫い付けたコルセットをつけて、読んでいたのだろう。

「神よ、
我らに耐え忍ぶ力を授け給え。
嵐と暗黒の日々の中で、
人々の迫害と拷問に、
彼らの悪行をも赦せるほどの
恥辱を耐え忍べるほどの堅固な意志を
我らに授け給え」

土曜日, 5月 22, 2010

無題

二回前に初登場した、家で飼っているセキセイインコのPeeが、
胃腸障害/胃潰瘍を起こすメガバクテリアにやられ、
1年とほんの少しの短い一生を終えました。

35gあった体重が26gになってしまい、
何も食べられないので、顔も上げられず、
入院して三日目に、短い命を終えました。
家にいた最後の日、手の平に乗せると、私の指にしがみつき、
かき抱いてはなれなかったのです。

わたしは もう、

ただ、
----- 泣くばかりです。

水曜日, 4月 21, 2010

親指 腫れてる「P」



これは昨年夏から私の家で飼っているインコ/名前は「P/ピー」。
ご覧の通りnice looking なのですが、残念なことにあまり賢いとは言えない。

かごの出口を明けたらパッと飛び立って、部屋中飛び回ればいいのに、と思うのだが、出口に立っているのがやっとこさ。
周りの状況に全く無関心で、新しいことに取り組む意欲が全然みえない。
エネルギッシュなウーマン/勝間和代さんの対局に陣取っているわけね。

大分以前に飼っていたさくら文鳥/初代Pは、白と黒、グレーの色の境目が乱雑で、美しいとは言いがたかったのですが、とっても賢こくて、その成長ぶりはワクワクする程面白かった。

人間の話すことを犬程度には理解するので、部屋で放して遊ばせている時、
「Pちゃん、ちゃぷちゃぷ(大好きな水浴びのこと)は?」と声をかけると、
首をかしげて考えて、それからパーッと洗面台まで飛んで行って、
水を出してくれるのを、今か今かと首を長く伸ばして待っていたものだ。

こんなことができる鳥は、滅多にいない、とだれもが褒めたのですが-----。
数年前、高齢のために寿命を終えました。

まあ、過去は過去として、現在のPはそれなりに可愛いものです。

そのPが最近、くちばしが右に張り出してきて、おまけに足に厚いかさぶたができたので、
娘が獣医院につれて行くことになりました。
かごに入ったまま、ぶら下げてつれて行かれたところ、
病院では犬の予防注射の時期だったので、大小の犬がたくさん待合室にいたそうだ。
娘は「どうかな?怖がるかな?」とpの様子を見ていたそうですが、
全然ヘッチャラだった、というか何の反応もしなかった、と。

Pは犬の属性を知らないから、犬の大群も壁紙くらいにしか思わなかったのでしょう、きっと。

何も知らないっていうのは可愛いもんです。

でも、たまには空を見て、「冬になる前に南に行かなくちゃあ!!」とか、「そろそろ夏だなあ。北はどっちだろう?」などとは、考えないないものでしょうか? 

ちょっと、不思議。

日曜日, 3月 14, 2010

眼鏡のバックミラー


1ヶ月に1~2回見える、ギルバートさん。
彼は世田谷区の松原から、高田馬場まで自転車でやって来る。
これがまた、メタリックパープルカラーのシャレたものなんです。
最新のヘルメットをかぶってだし、他にも快適なサイクリングをするためのいろいろなグッズを持っているけど、そのひとつがこれです。
お分かりでしょうか?
眼鏡に取り付けたバックミラーです。

上の写真では、向かって左側に眼鏡から細い竿がでた先に、グレーの四角い物が見えるでしょう?それが、鏡です。
下の写真では、肘の内側あたりに眼鏡から伸びたところに店内を映している鏡が見えます。実際に使わせてもらったけど、役目は完璧に果たしていましたね。
このおかげで、首を回して後ろを見ないですむんだ、と言っていました。

彼の友達が作ってくれたそうですが、太めの針金を細工して、眼鏡のつるにチョイチョイとかませているだけなのに、しっかりくっついている。
うまいことを考えたものだなあ、と感心しっぱなしです。

ギルバートさん、今日はこれから Meeting があるそうで、
ちょっとおしゃれね。

ステキよ。

みんな日本語をしゃべりたいのね


マリアナと二人でお店に居た時、電話がかかってきた。
すかさずマリアナが取って「Blue Parrot books」、と言う。
その後は日本語で話していたので、終わってから私は「日本人のお客さん?」と聞いた。

するとマリアナは、
「ガイジンなんですけど、日本語をしゃべりたくて仕方がないみたいだから、日本語で話しました」と言っていた。

なんだか、「ウフフ---」だけど。やさしいのね。

彼女は今、California に、初めての里帰り中。
成田に行く途中、メールをよこした。
「今、電車の中です。ドキドキします」----なにが??

火曜日, 3月 09, 2010

朝に血を見る!!


高田馬場は、私のように東京都南部で、小松菜畑の向かいに住んでいるような者から見ると、比べ物にならないほど刺激的な出来ごとでいっぱいだ。

駅前は、「ここはどこじゃあ!」と思う程、あらゆる国の外国人が歩いているし、レストランやマッサージ店の数は普通ではない。
夜になれば、出口付近でイケメンの三味線弾きが、きめの細かな青白い片頬を月明かりに浮き上がらせながら、三味線と一緒に体を揺らして熱くなっている。着流しで、刀でも振り上げたら似合うだろうなあ----と、つい足を止めて、ほれぼれと見とれてしまう。
こんな風景は、我が家の近くでは決して見ることはできない。

今朝、高田馬場で山手線を降り、改札をでたところで、突然男の大きな怒鳴り声。続いてグシャと何かがつぶれるような水っぽい音が聞こえた。
What's happened!!!
こうなったら、誰が黙って通り過ぎられようか?時計をみると、2-3分は使えそうだ。

そう思ったのは私だけではなかったらしく、不穏な空気の立ちこめる一角に、構内のあちこちから人が集まってきた。一歩遅れて人ごみの隙間からのぞいてみると、40歳前後の浅黒い肌をした筋肉質の男が、皮膚から怒りのオーラをビンビン発射して、何か叫んでいる。
---が、次の瞬間には2~3人の男に手足を取られて倒され、私が瞬きする間もなく、顔を地べたに押さえつけられてしまった。

馬場には強者がいるのね。

押さえられている方が叫んでいるのだろう、「やめろ!!やめろ!!」という声が聞こる。

少し離れたところには、鼻から白いワイシャツまで真っ赤な血を垂れ流したまま、血の気の失せた顔をした男が、壁にもたれ、泣いているのか微笑しているのかわからない表情で、目をウルウルさせている。

怒りを発光していたあの男は、いったい何に怒っていたのだろう。

そういえば、フロベール著「ボヴァリ–夫人」では、主人公のエマが浪費と不倫を重ねて最後に毒をあおり、破滅してしまったが、町の外科医であった夫のシャルル(でしたっけ?)は決してその理由を悟らないだろう、という伏線が張られてあった。

血を見た10秒後、構内の片隅でバックパックを枕にしてまだ夢の中の宿無しおじさんを横目に、私は信号が赤になる前に渡ろうと足を早めながら、「ボヴァリ–夫人」のそんなことを思い出していた。

あの発光男も言うだろうか?
「ボヴァリ–夫人は私だ」と。

言わないだろうな。

火曜日, 2月 09, 2010

LIL/リル

♬----「海を見つめていた
はまのキャバレーにいた
風の噂はリル
上海帰りのリル リル

甘い切ない思いでだけを
胸にたぐって探して歩く

リル リル 
どこに居るのか リル
誰かリルを しらないか--♬
----「上海帰りのリル」

この歌がはやったのは昭和26年だという。
---となると、私は当時2歳くらいだ。
”上海帰りのリル”はわたしの愛唱歌だった。

2歳のわたしは、水を飲ませてもらうために父と台所にいたようだ。
夕暮れ時だったのか、夜だったのか、わからないが--台所は薄暗い。

和室の居間のタンスの上にあったラジオから
かったるくなるような"リル"のメロディーが流れて来る ♬

大きなコップから口を離して
わたしは父を見上げて、前から不思議に思っていたことを聞いた。

「リルってなあに?」
父は言った。
「よそのお姉さんの名前だよ」

先週、風邪で高熱がでていたとき、
こんな小さな記憶が
まだ30歳台前半であったグレーのソフトをかぶり、ツイードのオーバーコートを着た父の若々しい姿と一緒に
頭の中を ゆっくり ゆっくり 流れていった。

金曜日, 1月 08, 2010

Ben の勉強の方法


以前 Blue Parrot でアルバイトをしていたBenは、時折、仕事の帰りに店に顔を出し、新しく入った写真集を見たり、お客さんや私とおしゃべりをして、ひとときを過ごしている。
昨夜も立ち寄っておしゃべりをし、帰る時には実にうまいタイミングで「おせわさまでした」と言った。

彼は日本語の勉強を熱心にしていて、生活の中で細かいニュアンスも使い分けようと努力している人だ。

--なので私は「それは丁寧な言い方で、friendly だと"おせわさまー"--でも OK よ」
と言ったら、早速ポケットから紙を取り出し、メモをし始めた。

「おせわさまでした」--- アレコレ、アレコレ---
「おせわさまー」--- ナンダ、カンダ---
「おせわになりました」--- アアダ、コウダ---

いちいちに使う状況などの質問をして、克明にメモをとっている。

終わると、かぶっていた帽子をヒョイと取り、頭の上にその小さなメモをペタンと乗せて、帽子を元通りにかぶっている。
「こうすると、direct に頭に入るからね、have a good night!! マユミさん。バイバイ」
そう言って、帰っていった。