火曜日, 6月 23, 2009

漱石と太宰/Souseki & Dazai

Picture by Stephen.Livovith of Blue Parrot

今年は太宰治の生誕100年だそうで、おなじみの頬つえをついた彼の物憂げな顔写真が、新聞や何やら、いろいろなところに登場している。

太宰治といえば数年前、お店で外国の婦人同士が Japanese Literature Section の前で太宰の話をしていた。
こんなふうでした。
「あなた、ダザイ読んだ?」
「エッ!、ダサイ?」
「ダサイじゃあないのよ、ダザイよ。ダサイは not coolのことよ。」
        (blog/2006/ March Title/「負けたわ」)

太宰が書いた物を読んだり、心中事件を何回か引き起こした事ことを見れば、さぞかしたくさんの悩みを溜め込んで苦しんでいたのだろうと想像できる。ところが、三島由紀夫に言わせるとこうなる。
「太宰の悩みなんか、冷水摩擦をすればなおるよ」。そうかぁ。生前の太宰に知らせたかった。

ついでながら、夏目漱石は1867年2月9日生まれなので、今年は生誕142年。(半端な数字ですが--)
彼は30台前半に初の政府給付留学生として英国に足掛け3年滞在した。ところが留学先のロンドンで、英国文明との齟齬を味わい、英文学研究への挫折やら妻からさっぱり手紙がこなくて寂しい--等等をきっかけにして神経衰弱になった(当時の判断なので正確ではないのだろう。今では気分障害、統合失調症、または混合だったであろう、ともいわれている)。「夏目、狂う」とうわさが日本に流れたり、精神科の医者自らが転地療養を段取りしてくれたり、と、かなり深刻だったようだ。資金の不足な中、昼食代を削って買い求めた古本はなんと500冊にもなったという。古本の山に囲まれて「孤独で不確かな自己存在」という亡霊と四六時中顔をつきあわせ、誰ともつきあわず、暗くて寒い部屋で水ばかり飲んでムキになって勉強していたのだろう。家主は漱石が灯りをつけない真っ暗な部屋で泣いているのを何度も聞いている。
  
無題
金様哀乏寒
乾母籠焦燥 
涙流如黄河
哀切止縲縲 
独寂寞想君

「嗚呼、夏目の金ちゃん(彼の本名/金之助)がそんなつらい想いを---」と、彼を恋するわたしは胸が傷む。
時間と空間を超越できさえすれば、SwiftでもAustinでも何でも、お望み通り差し上げられるのになあ--.

しかし、その当時、誰かがこんなことを言ってたそうだ。
「夏目はロンドンで本にばかり金を使わないで、もっと社交に金を使うべきだった。そうすれば神経衰弱になんかならないですんだ筈だよ---」

前回blogに引き続き、これもまた脱力感で膝がカックンとなってしまいそう。そういう問題かなア~と。
漱石と太宰、二人がなんて答えるのか聞いてみたいところだ。

上の写真は漱石が27=28歳の頃のもの。
もらわれてきた子犬のような目をして、何ともいたいけな感じだ。彼はこの後、松山に行っている。
左の写真は、1901年2月2日漱石がロンドンに滞在中、下宿先の主人と連れ立って見に行ったヴィクトリア女王の葬儀の様子。
漱石の背が低いため葬儀の行列が見えないので下宿屋の主人は彼に肩車をしてあげた、ということだ。
(Picture by " The Guardian Century"---漱石が、ここにいる可能性があるので目を凝らしているのですが--)

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