月曜日, 12月 22, 2008

ことしも冬になりました。サンタさんお元気ですか?


"Dear Santa Clause! Winter has come and the Joy of Xmas ---"

This is a letter to Santa Clause from my daughter
when she was a little child.

----One Winter day she said to me.

" What do you want for Christmas ? I'll ask Santa Clause ! "
" I'd like pearl neckless--" I replied.

Then came Christmas morning, she said to me.

" What happen, there is no pearl neckless, only gloves for Mommy ? "
( There is a reason, sorry dear )

----It was a custom to serve him a hot tea and cookies,
and open a window a little for him.
( It's the time for patience, but too cold-----)

One Christmas morning, she said to me.

" Hey Mom, there is a lip color with tea cup,
is Santa Clause a woman ? "
" I guess a female elf had tea ? "
" really ?"

---One Christmas morning, she said to me.

" Hey Mom, I got a letter from Santa Clause
but his letters looked just like yours. Why mom ?? "
" Santa Clause is a foreiner you know,
and he always copies letters for parent of each family "
" Really ? " she said.
" Off course !! " I giggled !

---Next Christmas,
--- --- ---
---Christmas dream & my fizzle was over---
( I'm ashamed of myself )

translated by Remo.M.P.



「今年も冬になりました。サンタさんお元気ですか??--」
-------で始まる、幼なかった頃の娘からサンタさんへの手紙。

ある年、「ママは何がほしいの? ついでに頼んであげるよ 」
と言うので「じゃあ、真珠のネックレースなんかどうかしら?」
「うん、いいんじゃあない、軽いし--」
(----重いか、軽いかだけを考えるのね、あなたは)


クリスマスの朝、「どうしたんだろう、ネックレースがない。ママには手袋だけよ」
(----事情があるのよ、娘よ)

クリスマス イブには、
サンタさんにウエルカムクッキーと暖かい紅茶を用意するのもお約束。
おまけに夜やすむ時、「サンタさんのために窓を少し開けておく!! 」こともね、
(もう寒くって---)

ある年のクリスマスの朝、
「ママ、紅茶のカップに口紅がついているよ、サンタさんって女なの?」
---「そう?、あっ!そうだ! アシスタントが女で、かわりに飲んだんじゃない?」
「うん、そうかもね- -(?)」

ある年のクリスマスの朝、
「ママ、サンタさんから手紙が来たけど、ママの字にそっくり !---どうして?」
---「あのね、サンタさんは外人だから、その家のおとなの人の字をまねっこするのよ 」
「ふう--ん、そうなの- -(?)」

ある年のクリスマスの後日----
「 ママ、ママ。ママの聖書にわたしがサンタさんに出した手紙が入っていた。出さなかったの?」
「そう、ごめん忘れたの」
「でも、どうしてわたしが頼んだプレゼント、わかったんだろう?? 」
「サンタさんはテレパシーでちゃんとわかるの。大丈夫よ!!」
(嗚呼っ!なんて陳腐な答え!)

「今度から、絶対わすれないでね!」
「はい」
「約束よ」
「はい」
--このとき、娘は小学校5年生だった。

その後の一年間で、娘は情報を統合して結論を出したようだ。

そしてクリスマスファンタジーは終わった。

     (モーッ!! ドジなんだから----ッ!!)

re-appeare
    

土曜日, 11月 29, 2008

No Really ??

過去は霧のごとく消え失せ、残りは闇の中、の私ですが、忘れられない出来事もいくつかある。
10数年も前のことだが、週に何回か私は日比谷線で自由が丘から人形町まで通っていた。
今はどうか知らないが、そのころは通勤時間をずらしても車内はいつも満員で、銀座駅でたくさんの人が下車してやっと座れる、という具合だった。
その日も、銀座で座る席を確保して、やれやれ、とバッグから本をとり出し膝に乗せ読み始めたが、視界に妙な調和の乱れがある。「何だろう?」本から足元に目を移すと、なんと隣の人の足が私の領域に侵入しているではありませんか。失礼な、いったいどんな顔をしているのか見てみましょう、と肩越しに見たけど誰もいない。

ン、誰もいない? わたしは黒いヒールのある靴を履いているが、左側にあるベージュでフラットな靴は一体誰が履いているの? 誰もいないっていうことは、---- まさか、わたしが、二種類の靴を履いているっていうこと? そんな筈はないじゃないの アハハー。でも、ちょっと待って、もしかしたら私が大層疲れていて、目の錯覚で別々の色に見えるのかも知れないし、隣の人の姿も見えないのもしれない。そこで、確認のために自分の左の足を持ち上げつま先をブラブラと動かしてみた。あれがもし隣人の足ならば、ピクとも動かないはずですから。この時まで私は希望を持っていた。
しかし、残念なことにそれはユラユラと無意味に動いた。ベージュの靴をはいたそれは私の左足だったのだ。Oh!! my GOD!! なんてことが起きたのでしょう!!
身の置き所がない、としか言えない気持ちだった。血圧が急激に下がってくるのがわかった。
2-3秒の後「ぼんやりしている場合じゃあないわ」と気を取り直し、誰か私を見てやしないか?と人がまばらな車内をこっそり見まわした。幸いなことに、皆さんは本を読んだり居眠りをしたりで、誰も私に注目をしていないし、笑いをかみ殺している人も見当たらない。
だからといって、知った以上とても平常の顔をしては座ってはいられない。なんだか汗が垂れてくるし ---
それに、こんなお笑いの種を皆さんの前にいつまでも並べておく事はないんだわ。今のうちにドアまで移動して、せめて顔をかくそう。
そこで誰の注意も引かないように、目立たないように、静かに、静かに、動いた。
そしてやっとドアまでたどり着き、ドアのガラスに全身で張り付いた。ふーッ。。。これでやっと皆さんから顔を隠せたけど、肝心の靴部分はむき出しね。これでは”頭かくして尻隠さず”だ、と、とっさに足を交互に動かして靴を隠しあったが到底隠しきれるものではなかった。
10数分で人形町駅に到着。ドアが開いた。実は降りる事に強いためらいがあった。だってまた新たな対策を見つけなければならないじゃない?でも、私は電車を降りた。そして心を引き締めて決心した。「よしっ!!歩くぞ----」と。思った通りプラットホームも人がまばらだ。まずい!!これじゃあ目立つわ。
歩いて初めて気がついたのだが、左右のヒールの高さが6センチ以上差があるので、歩くと体が右に左にと揺れてくる。マリリンモンローは魅力的なお尻を振って歩くために、わざと左右のヒールの高さを0.5インチ差をつけて靴を作らせた、というけれど、私は2.5インチ差だもの、自分の意志ではないけど、思いっきり振れていたと思う。
すれ違う人がみんな私の顔と足元を見て行く。
でも、マリリンのようにセクシーだから見ているってわけではないのは、私だってよーくわかっているつもりよ。
いい考えが浮かんだ。色も形も別々の靴を履いていて、異常な状態だからすれ違う人たちは私を見るのだ。いっそ、靴を脱いで歩こう。
そこで、二つとも脱いで手に提げ後ろに隠し、ストッキングをはいた裸足で歩いた。
でも、通り過ぎる人はまだ見る。ウーン、裸足もやっぱり変なのね。

時々人形町の街で出会う女のホームレスが、その朝はホームのベンチに座っていた。今日はどこかにお出かけなんでしょうか。小物を満載した紙袋を2-3個足元に置き、上半身を前に深くかがめて座っていた。彼女は雨が降っても晴れても裸足で歩き、足の甲がちょうど靴をはいた形に汚れて真っ黒になっているのだ。日ごろはあまり彼女をうらやましい、とは思っていなかったが、その日は彼女の足の部分がうらやましくて、うらやましくて目が離せなかった。

改札口までの道のりは長かったが私は歩き続けた。そして何人かの駅員の不審と憐憫をたっぷり含んだ熱い視線を浴びて、私はチケットゲートを後にした。
そして仕事場に行く途中にあった靴屋で、間に合わせの履物を買ったのだ。
目的地に着くまで、あまりのことにおかしくておかしくて笑いが止まらなかった。
あんなにバタバタすることなかったのだ。
左右別々の靴を履いていたからって、どうってことはないじゃあないの。

その日、鍵っ子で小学生だった娘が学校から家に戻ってきた時、玄関のたたきにヒールのある黒い靴とベージュの平らな靴がひとつずつ残っているのを見て不思議に思ったそうだ。「お母さん、今日、何を履いて行ったんだろう?」-- と。そして、なんだか悪い予感がした、とわたしが家に帰ってから言っていた。わたしはその朝、二足並んでいる靴の真ん中部分のひとつずつを足に引っ掛けて出てきたみたいね。

後日、仕事仲間がこう言った。「まゆみさんがホームレスになった時、顔はわからなくなっていても、裸足の足を見ればすぐわかるよ。左右の色が違うに決まっているんだから」。そうね、きっとそれ、わたしよ。その時はコロッケパンでも恵んでね。

こういうドジなことをするのは、わたしだけかと思ったら、同じようなことをした人が知り合いにふたり程いて、とても救われた思いがしましたわ。おわり

火曜日, 11月 04, 2008

僕、お猿の方がいいな :)

早くも11月に入りましたが、今から1〜2ヶ月程前の夏が終わろうとする頃、韓国から短期留学で来た20歳くらいの学生さんが
”I have a question。日本を旅行したいがどこがいいでしょうか?---とわたしに質問した。
あいにく沖縄は台風シーズンだし、北海道のスキーにはまだ早いし--という時期だったので、
お手軽で、日本の風習も味わえる温泉を紹介することにした。
幸いなことに彼は温泉/hotsprings は知っていた。
そこで、少し、説明を--
”温泉は室内だけでなく山の中や川の傍にもあるし、海辺にある事もあります。ゆっくりお風呂に入りながら温泉で暖めたお酒も呑めるし、冷たいワインも呑めます。privateのお風呂もあるし、混浴のところもありますよ” ---と言ったところ、不思議そうな顔をしている。mixed bathing/「混浴」は理解、納得できないようだった。

何秒か考えて ”混浴ってWOMENと一緒にはいるのですか?”と質問してきた。“もちろんよ!!”
“何も着ないで?”というから、“ Of course”と答えた。(あったり前じゃあないのねぇ)
そうしたら急にもじもじし始めて ”I can't" という。まあ、予想はつくけど-- 一応 “Why?" と聞いた。
すると彼は、"わたしは友達と一緒に旅行する。友達は恋人/loverも連れて来る。わたしは友達のloverと一緒に風呂にははいれない、
はずかしい。I can't”と言って、身をくねらせている。
---おっとっと、まあまあ、そんなに恥ずかしがらなくても--でも、そういう事情だったのね。
”だいじょうぶ、だいじょうぶ、男女別々のところもあるから。
女性と一緒に入るのが嫌ならお猿と一緒に入る?”

“What?" He said.
これも理解できなかったようだ。無理もない。
”山にある温泉だと近くにお猿が住んでいるでしょう? お猿も温泉が好きなので、時々人間が入っているところに来て、一緒に温泉に入ります。頭にタオルも乗せるのよ”と説明した。

"本当/Really??" これには喜んでいた。”お猿に頼めば背中を洗ってくれますよ、きっと”

””WAOOO!!””と叫んだ彼は、やっと眉の間を広げて、晴れ晴れした笑顔を見せてくれた。
こういうのを「破顔一笑」というんだろうな-- と思いつつ、
そうか、そんなにまで混浴が心配だったんだ-- と、おかしいやら何やら--。

まだ女より、お猿の方が気が楽なのね、君は。
人生、これからね。




(イラスト&露天風呂の写真--Japan'sHotspringsより. 秋田の雪景色/picture by Mayumi)

木曜日, 10月 23, 2008

I'm helpless against it.

「ジンジャー」または「ジンジャーリリー」という名前の花がある。
これです。

花びらが薄くそれぞれが勝手にあっち向きこっち向きしている花だ。

造形的に言えば、花に飛び乗ろうとする寸前の蝶のように、不安定でかなりバランスの悪い形をしている。

初めて見たのはいつだったのか、どこだったのか、覚えていないのだが、季節は晩夏で時間は夜だったような気がする。たった一目見ただけなのにその不安定な形と、強い香りがつくる何か不思議な世界に心を奪われて、欲しくて欲しくてしかたなく、折りあるごとに花屋を覗いたけど、どこの花屋でも売っていなかった。

そんなことをしていたある日のこと、茨城県か福島県のあたりに用事で行った時、田んぼの中に作られた肥料入れの横に白い花をポツポツとつけて群れ生えているのを見つけた。おや? あれはあんな風に自然に生える野の草だったの? --- 。

ああいうところに無造作に植えられているくらいだから、多分商品価値は低くて誰もお店に出して売ろう、などと思わないのでしょう。どうりでどこにも売っていないわけだ。

でもね、田舎の肥だめの防人として植えられていようが、花屋のショーケースに大切に飾られていようが、
わたしにとってはどちらでも同じこと。いつもNO-1だ。
何がすてきって-
まずその香りがそこいらの花とは全然違っているのです。
とても言い尽くせるものではありませんが、
いうならば---
大きな滝のそばで味わうオゾンのむせ返るような豊かさの中に鉱物的な酸味を含む甘さがあるのが特徴で、そこに南の国のおいしい果物と満開の花を山盛りにしてギューと搾り出したエキスを加えて作ったのでは--と,想像できるようなくっきりと鋭い香りなのです。おまけにシャネルNO-5のように晴れ晴れしたゴージャスな派手さもある。

夏の夜、一輪開いているだけで、凝縮された光と水分がみっちり入った香りのエッセンスが深い夜空にキラキラと舞い上って行くさまが、わたしには見えるような気がする。

このように長い間わたしにとって「幻の花」だったのですが、数年前、偶然通りかかった家の近くの空地/と言っても所有者がありますが/で、それが咲いているのを見つけたのです。

その時は歩いていた足が文字通り「はた!」と止まり、心臓がバックンバックンと鳴り始めました。
「ちょっと待って。こういうドキドキは恋愛している時に感じるもので、好きな花に出会ったからといってこんなに上ずっている私って、変!!!」と思いながらも、理性は完敗でした。
どうやら脳内の司令官が私の心情を「恋愛」と判断して「Go !!」のスイッチを入れてしまったみたい。
「ちがうってば!!」と司令官に「カツ」を入れたかったのですが、誰に迷惑をかけるわけでもないのでドーパミン流出量に比例して、意味なくドキドキしながら傍に行ってじっくり見ました。

こんな風にわたしを無意味に動かしてしまうなんて、わたしの脳内司令官はあきれたものです。でもこの出来事のおかげで、私の/私だけではない、と思いますがー)脳内の司令官の判断は非常に大雑把であてにならない、と知ったわけです。その人の持った「感情」が司令官を動かす、とは聞いていたけど、彼はこんな勘違いもするので、人は自分の意志がそうでなくても体が反応して動いてしまうこともあるのね。
それはそれとして ---
その時かの花はほんの二つか三つの花をつけ、草や樹木が無造作に生い茂っている200坪ほどの土地の道路際にさりげなく植えられていたのです。蒸し暑い夜気の中、その白く薄い花びらは、かすかな風の中、土地をぐるりとかこっている金網と擦れ合いながら、なんだか居心地悪そうにユラユラと---
その様子は”羞じらっている風情”の代表格である”はじかみ”もゴリラに見える程のたたずまいでした。
当然ながら、詳しい場所は秘密です。

--- という訳でここ数年間、花が咲いている夏の間は、ひとつ前のバス停で降りて回り道をして、ひとりホクホクと眺めているのです。

小さな侘び家にきれいな愛人を置いて秘密に通っている男って、こんな気持ちなのかな、などと考えながらね。どのDNA がそうさせるのかわからないが、なぜかいわれのない後ろめたさを感じるので、ついこそこそしてしまうんだわ。

そして夏の終わり近くになると、「もう来年まで見ることはできないんだ」と名残惜しくてしかたなく、ある日いよいよはさみをバッグにしのばせて家を出ます。夜ふけの仕事帰りに、バスを降りて脇目もふらず現場に行く。あたりを見回し人がいないのを確認して、はさみをバッグから取り出す、そして、一輪だけ”チョッキン”と切る。はっきり言って、わたし「泥棒」ね。

だけど---

これほど心を注ぎ、社会的に干されるかもしれない危険を冒してまで手に入れても、
肝心の輩は、家に帰って水を入れたコップにさすまでの5分も待てずに、みるみるうちにわたしの手の中でしなびていく。

どういう性質なのかは知らないが、生まれ育った株からはなれると、
「生きよう」という気持ちが薄れ、香りを出す気力もなくなるみたい。

犬と違うから、なだめたり、言って聞かせてわかるものでもないし。

既に薄茶色にしなびて指にからみついている花びらを引きはがし、水を入れたコップにさして、
わたしは蛇口をひねり、黙って手を洗う。

ローマ時代の総督ピラトは「イエスを十字架刑に!」と叫ぶ民衆にイエスを丸投げした後、水をもってこさせ、”私には責任がない”と言って手を洗った、といわれているが、わたしの手洗いは「丸投げ」や「あきらめ」の意味はない。
ただ、少し泣きたくなった気持を沈めなくてはならなくなっただけ---。

こんな風になるのがわかっていても、わたしは性懲りなく毎年同じことしている。
不毛とわかっていても、I will.


picture from IN

金曜日, 10月 17, 2008

豚パン

恥ずかしがっている豚のようですが---
豚ではなく、パンです。


ほらね :)

火曜日, 10月 14, 2008

友達の家みたい



お店で、

思慮深そうな若い男性が、
眼鏡のつるに長い指をそっとあてながら、
本棚の前に立ったまま、こう言った。

「なんだか友達の家に、本を借りに来ているような気がする」


さすがに小説家志望の早稲田の学生さん。

たったひとことで、

わたしの心を、ホッコリ暖めてくださる。

---- 本当にありがとう。

   そう言って頂けて、

   とっても嬉しいです。

でも、お代は忘れずにね。

月曜日, 10月 13, 2008

50% OFF


ブルグを見て下さる方へのお知らせです。

土曜日, 10月 11, 2008

へんなの - 3/彼女たちにはアレがない



「お母さんの顔、へんなの」
-- と娘に言われる。

「何が変?」と聞くと、
「化粧と造作が昔くさいから、古い人だってすぐわかる」と言う。

いいじゃない、古いんだから。

-- と言ってはみるものの、

ウーン、電車の中で見るほとんどの女性は、
近くで見ても、遠くから見ても、確かに美しい。

何がちがうのか、じっくり観察したがわからなかった。

しばらくして、ある日、気がついた。

鼻毛がないの。 あの美しい方々は。

メークアップアーチストのアシスタントをしている若い女性にそのことを言ったら、
「あれは、家電コーナーで売っています。安いですよ」と教えて下さった。

今やこれを使うのは常識で、男性も使っているそうだ。
(内緒だけど、BEN も使っているって)

知らなかったわ。
さっそく買いましょうか。

でも、まつげカール器も、お肌しっとりイオンスチーム器も、たるみ防止リフトアップ器も ---。
みんな首を長くして、洗面所で出番を待っているんだっけ。

木曜日, 10月 09, 2008

へんなの - 2/痴漢が迷惑ですって?とんでもない!!他

**ニュースでは「電車の中でいかがわしい行為をした誰々を、迷惑行為防止条例の現行犯によって逮捕---」という。

*「痴漢が迷惑ですって?!?!?嘘でしょう??」

電車の中でおならをされたらそれははっきり迷惑と言えますが、痴漢行為が「迷惑」という言葉の意味に包括されているとは思えないんですけど。世間の皆さんはどうお考えなのかしら? 広辞苑を引くまでもなく、なんだかおかしい。

「迷惑ごと」っていうのは、動機が「悪い」とは限らないし、結果もありがたかったりありがたくなかったり--でなおかつ仕掛ける側の意志がある場合もあるけど、ない場合もある。

お隣の桜の木に湧いた毛虫が、ウチの庭に落ちて来た事は「迷惑」なのは事実でも、お隣さんの意志である可能性は少ないし、「アラ、気がつかないで済みませんでした」とおまんじゅうでも持ってきてくれれば済む事でもある。

また、「迷惑ごと」とは、「物事の段階」を表すものでもない。
電車の中でのおならは量や音や匂いが大きくても小さくても、たとえ前代未聞のスケールでも「犯罪」ではなく「迷惑ごと」で済む。


痴漢行為は、悪い動機からでる悪事でありはじめから犯罪なのだ。電車の中で痴漢が女や男の体を少し触っているうちは「迷惑」だが、本格的に触り始めたら「犯罪だ」-- ということにはならないのだ。「迷惑」が途中から「犯罪」になるのではない。

痴漢行為は断じて迷惑ではない。完璧に犯罪です。
どの機関で決めたのか知らないけど、何をどう考えて痴漢行為に「迷惑」という言葉を使っているんだろう?
わたしには、意図がさっぱりわかりません。
世間の皆さんは、何のひっかかりもなく速やかに理解なさっているでしょうか?
わたしだけがわからないのかしら?

**「不適切でした」って言うけど、そういう言い方って無責任じゃあない?

誰かが何かを言う。マスコミは、「不適切な言葉を使った」と、詰め寄る。

半日も置かずに、それを言った責任ある立場の人が、
「不適切な言葉であった事をお詫び致します、はい」と頭を10秒下げる。

本来の意味では「不適切」とは「ふさわしくない」っていう意味だから、マスコミは「その件に関して言うにはふさわしくない言葉を使った」とか、「公の場で言うにはふさわしくない内容だ」等、と言う意味で言った本人を責めているのでしょうけれど、
そんな事を責めてどうなるんんだろう?

「間違い」ならそう言えばよいのに、言わないのは、「間違いだ」と言い切る根拠がないか、はっきり見つからないか、言い難い何かがあるのね。
「間違いだ」と言うだけの基準を持たず、せめて「公の場で言葉にするのはけしからん」と言って、どちらにも転げられるように「不適切」と表現しておく、--というところなのでしょうか?
---でしょうね。

言った本人は「こと無きを得よう」と、オウム返しに「「不適切な表現、と判断されることを言ったこと」を「すみませんでした」とテキパキと謝る。
そして、「事実だが、公の場で言うにははばかられる」ことを言ったのか、
「事実とは違う、間違である」ことを言ったのか、釈然としないまま、
「今日のニュース」はいつのまにか終了する。
言った本人はと頭をさげているが、頭を下げたからって、彼らは決して謝っているわけではない。

謝られた、と思ったら大間違いですよ、みなさん。

だって、「不適切でした」と「間違えました」とはステージが全然ちがうもの。

「不適切」という言葉は二義的なことばではないの?

泥棒が捕まった時に、その家の人に「他人様の家に侵入して物を盗った」ことを詫びず、
「長居をして、部屋を散らかした上、皆さんの睡眠を妨げてすみませんでした」と謝っているようなものだ。もし、そんな可愛らしい泥棒がいたら、のはなしだが。
その家の人々は泥棒に睡眠を邪魔されたことや長居のことを謝られて、納得するのだろうか?あたりまえだが、そんな事は誰もしないのである。わたしだったら「ーざけんな」と、言う。

***「あってはならない事がおきてしまいました」--これは責任を認識しての謝罪ではなく、感想でしょう?意味不明。
--- ン?、この事件はあなたの責任外で、なおかつ偶発的にでもおきたの?とわたしは頭を下げている方々に質問したい。

「あってはならない事がおきた--」とは「希望していないが、起こりうるかもしれない事がやむおえず起こった」と言う意味なのでは?
世間に向けて、その管轄の管理者が「あってはならない事でした」などと、無責任で他人事のように個人的な感想を述べてどうするっての?
「あってはならない事がおきて、申し訳ない」--- これはないでしょう?

「悪い事をしました、不注意でした、間違えました、気がつきませんでした、申し訳ない」--と言うのなら、わかる。


「不適切」と「間違い」はちがう。
「間違い」と「犯罪」もちがう。
「許す」と「赦す」もちがう。
「あってはならないこと」と「してはいけないこと」もちがう。

言葉の使われるステージが全然ちがう。迷惑は迷惑、間違いは間違い。犯罪は犯罪でしょうが。

言葉が使われるステージが、何故だかずらされている。
だから物事が平坦になってしまうのだ。言葉のステージをずらす事によって、真実の重みからスルリと身をかわし、責任から逃げている。曖昧な判断で「曖昧なことば」「座りの悪いことば」を使うのは本当にいけない。

「雨が降る日は天気が悪い」等と言われると、膝の力が抜けていくように、
正論を言うのは、人を無気力にするが、
曖昧な言葉も世間の皆さんを無気力にしてしまう。あまりのばかばかしさにね。

砂漠に住んでいるカメレオンをごらんなさいな。ああいう過酷な場所に住んでいるから、食べるにも、メスを獲得するにも、リスクを計算した上で、なんとまあ、いさぎよいことか。あれは、彼らの生命力と体力と、英知と本能と、現実を踏まえた正確な思考の結果ですね。

わたし、ホレボレするわ。

月曜日, 10月 06, 2008

へんなの - 1/虫じゃないのよ

**「薬のセイジョー/某駅前店」で買い物を:

「お客様、おめでとうございます。
本日のお買い上げで500円のクーポン券が発生しました。」
若い女の店員が言う。

この日、わたしは虫の居所が悪かった訳では、決してない。

だが、「クーポン券が発生しました」と聞いたとたんに、
--ムムー-- ムカムカ---
--- で、言った。

「あなた、今”発生”っておっしゃったけどその表現、セイジョーのマニュアルにあるの?
それともあなたが独自に使っているのですか?
"クーポン券が発生した" は変でしょう。
虫とかガスじゃああるまいし。
発生、というのは自らがに変化する事を言うのであって、
クーポン券はひとりでにわき上がってくる訳ではないのだから、
こういう場合に使うのはおかしいのです。
自分たちのことなのに、まるで他人事を話しているみたいにきこえるし、そんな風に言ったのでは「サービスさせて頂きます」という心が伝わらないのよ。
「発生」ということばを、お客にこういわれた、と店長に言って、皆で検討し直すことをおすすめします」
---と言った。(まあ、よくべらべらとしゃべるわね,と自分で思いながら---)

これだけ言ったけど、言いがかりにきこえない事も無いし、おせっかいではあった。

でもね、あんな風に言われたら、こちらが自動購買機になったみたいで気持ちが悪いので、言う時は言います。

もし、「済みませんでした」とでも謝ったら、
「これは謝る事ではありません。検討することよ」と言うはずだった。

それ以後、何回かセイジョーに行ったけど、"発生"という言葉は聞かれなくなった。

でも、わたしの意図が伝わったのかどうかは不明です。


閉店後----「店長、きょう、へんなお客がいたんですよ、ーったく!!」

---- で、済まされたかもしれないもの。

火曜日, 9月 30, 2008

幸福の概念/いろいろ

読売新聞の「生活に関するアンケート調査」によると調査を続けた30年の間というもの、
毎年、日本の国民の90%前後が「わたしは幸福です」、と答えているという。
そして「あなたにとって幸福とは、何ですか?」という質問に対しては、ほとんどの人が、
「何事も起こらないこと」の欄に○をつけているそうだ。

「おっとっと--。こりゃあ、読みまちがえたか」と、もう一度初めから読み直したが、やっぱりそう書いてあった。

「何も起きない」という意味は,「良い事は起きても良いけど、悪い事は起きないでね」とか、
「無事である」とか「昨日と同じ」という意味なんだろうが、もっと言えば「変わるのは嫌よ」「変えるのは嫌」、「みんなと同じがいい」という事だろう。
---ちょっと、寒くなった。

ひとつの銀河に21億個の☆があり、宇宙の中に、銀河は今のところ数えられるだけでも21億銀河あるというではないですか。変わらない事も安心できて居心地は良さそうだけど、やむおえずにせよ、変化しながら生きていくことは、これはこれで面白いもの。

わたし、つねずね人から「ワキが甘いのよ」とか、「ほんと、あなたって極端!!」とか、離婚する準備をしていた時は、弁護士に「あなたみたいな人を”極楽とんぼ”っていうんですよ」等と言われながら、今まで生きて来た。おかげで退屈知らずだったな、と思う。

でも、もし、お金も、愛情も、健康も、充分に持っていて、ほくほくと生活しているならば、
わたしもそれらを「手放したくない、変わるのはいやだ」って思うかな?
あいにく、わたしは全部に不足しているから、選択肢がなくてこんなこと言っているのかもしれない。

先日、行われた同期会で、クリスチャンの恩師がこんな事を言っておられた。

「みなさん、自分ではどうにもならないそれぞれの人生の条件があります。
その中で、どうやって工夫して楽しく生きていくか、が大事ではないでしょうか?」

----- 本当にそうです。

お金や、愛情や、健康、その他もろもろ --- が、あっても無くても、人生上の変化が、あっても無くても、
受け入れて、楽しく生きていきたいな。

回って来たカードが悪いからって、ゲームを降りたら、
メンバーもやる気をなくしてしまうじゃない?
悪いカードが来ても、工夫をこらしてゲームを続けていると、誰かが助けてくれる。
わたしはたくさん助けてもらった。
わたしもきっと助ける。

月曜日, 9月 22, 2008

望むところは--

夏になったら、

あれして---
これして---

あそこに行って---これをして、ウフフ。
--と思っていたけど。

夏は終わった。


秋になったら、ヤッパリ

あれして---
これして---

あそこに行って---

あれをしよう、ウフフ。

土曜日, 9月 13, 2008

棚からおろしてみると。

本を”おとり置きした事をすっかり忘れていたローラさんと、
そのことで大笑いしたあと、
いくつかの情けない記憶が戻って来たので、棚からおろしてみた。

今は、月夜の晩にタヌキが出るようなところに老母と住んでいるが、20年前のわたしは、目の前にサミットストアー、という、当時の私の状況にとって、非常に便利な地域に住んでいた。

--- ので、わたしが外出した日の「締め」は、当然、本屋での立ち読みである。

さんざんただ読みをして店を出ると、歩道の脇に自転車が十数台並んでいる。
その群れの中に、わたしのものとよーく似た古びて地味な自転車があった。

見るたびに「へー、わたしみたいに、何でも長持ちさせる人がいるのね、感心、感心」と思っていた。

ところがいつ行っても同じ位置にあるので、ちょっと不思議な気持がしていたことも事実である。

しばらくしてから、娘の友達の愛ちゃんがわたしに言った。

「おばちゃんの自転車、ずーっと本屋さんの前に置いてあるよ。持って帰らないの?」
絶句----。

ですから、何か失くなった時は、自分の立ち寄先を辿って
「あのう---、すみませんが--」と、恐縮しながら、探しまわる事にしています。
(行った先で、別の物をまた忘れてくるのですが--.)

いつかは、サミットで買ったはずのトイレットぺーパーが、家に入ったら、「あらっ?ない!」
なんと手ぶらで帰って来てしまったのだ。

もしやと思って、窓からのぞいたら、ヤッパリ!!トイレットぺーパーの12個入り袋が、ポツンとひとりで信号まちしているではありませんか。

信号が青になるのを待っている間に、つい、道路に置いてしまい、そのまますたこら家まで歩いてきたのね、わたし。

すぐ取りに行ったけど、行きも帰りも、ホントに恥ずかしくて、顔を上げられなかった。


サミットから、店内備え付けのバスケットのまま帰宅した事もあった。
帰宅してドアの鍵を開けるとき、買って来た荷物を下に置いたが、いつものようにグダッと倒れる動きがない。

「ン、倒れない。どうして?」
不吉な違和感を感じて足下を見れば、
当然そこにあるはずの、そして目におなじみのサミットの白いビニールの袋はなく、頑丈な黄色い店内用バスケットが、パンだの野菜だのを満載して、スックと立っているではないですか。これってありえないことである。

瞬間にそう思うのもおかしなものだが、わたしは知らずに万引きをしてしまったかと思ったのだ。
私の脳内ではすでに、おまわりさんがこん棒を振り回しながら追いかけてくるフィルムが回っている。
あぁ、どうしよう!!

こういう時の判断は、わたしは素早い、誰か見てやしないかと周りを確かめてから、ドアを細く開けて、音も無く家に入った。
だって、追っ手がそこまで来ているかもしれないじゃない??--

ドキドキしながらすぐに財布を開けてみたのは、
レシートがあるかどうか、を確認したかったから。

レジを通過した記憶は全然なかったので、何か考え事でぼんやりしていて、お金を払わないで来てしまったのではないかと、思ったのね。

万一払っていなかったら、これって立派な万引きになる。「ああ、こまった、私の将来はどうなるの?娘の将来はどうなるの?」---。

レシートはあった。「よっしゃー」(ここからもう、強気ね!)

そして、小学生だった娘をよんだ。
「サミットに行ってレジのおばさんに、
”お母さんが間違えて持ってきたから、返します”と言ってきて」そう言ってバスケットを渡しました。

「はーい!」と言って、娘は屈託なく空のバスケットを腕にかけ、出かけて行った。

そしてサミットで知り合いのおばさんに会ったそうである。

「あら、どうしたの?」と聞かれたから、説明したそうだ。

「そう、あなたも大変ね」と言うから「はい」と言ったそうだ。

(すまん)

Its Nice Taste


Blue Parrot では、
お客さんからのブックリクエストも受け付けるし、”おとり置き”もしている。

名前と日付を書いた紙をつけて、カウンター後ろの棚に置いておくのだ。
(このようにね)

”おとり置き”が長くなると、Stephen がメールを出す事になっている。これは彼の仕事のひとつね。

メールを見て今日、ローラさんが来た。

「Stephen から”おとり置き”のメールを貰ったけど、わたし”すっかり忘れていた。
先週はBlue Parrot に三回も来たでしょう? その度に棚の上の本を見て、“Nice taste!", "Same taste、良い趣味ね!"と思っていたの。あれ、私のだったのね」
彼女はすっかり忘れていた。

その上「好きな本ばかりなので、見せてもらおうと思っていたのよ」--という。

「書いてある名前を見ても”あら、私とおんなじだわ!”って思ったりして---」
----などと言いあって、ふたりで大笑い。

彼女は友達の分まで、
”彼女、これ、きっと好きよ”と、
おとり置きを頼むような、
友情に篤い女性でもある。

今週も終わった。

火曜日, 8月 19, 2008

予定としての「最後の言葉」

死ぬときに意識があって、傍に誰かいたらなんて言おうか、と考える事がある。


「今までのことは、全部、きれいさっぱりと、水に流して頂きたい。それでは--っ」

または、「B型、魚座だったのですが。なにか?---」とか、

-----ですね、今のところ。

でも、よく考えれば、死ぬ時ばかりではなく、生きている今でも、同じ台詞しかいえないな。
「居直り」とも言えますけど、できない事はできないし、やりたい事はやりたいもの。

水曜日, 8月 06, 2008

宇宙のこと


子供のころに、
「すいきんちかもくどってんかいめい--」
と覚えることから始まったのが私の宇宙観だと思います。

情報によれば、年月とともに
人類の宇宙についての"わからない度"は一段とあがり、
今や「我々は宇宙の事がわかっていない、という事がよーくわかった」
というレベルだそうだ (!*_*!)

ものの本によると、
物質宇宙と称する見える宇宙は4%。
正体不明の暗黒物質部分が20%。
物質かどうかも見当がつかない、
”暗黒エネルギー”としか言いようのない部分が
76%だという。

つまり96%部分は人類が触れることができないばかりか、
想像も判断もできない「正体不明ななにか」である、と言うのだ。

その正体不明の「なにか」は、どうやってできたのかわからないが、
ある時、「存在が無い」状態から「存在がある」状態になった。

「1」から「2」に行くのは容易いが、
「0」から「1」になるには、相当量の意志とエネルギーが必要だ。
「1」になる為には/見える物質になるためには、見えない何かの働きがあるはずである。
「0」から「1」の間に、何かが介入した、と考えられる。

わたしが小学校2年の時、
理科の授業中、担任の教師が言った。

皆さん、地球がどうやってできたか考えたことがありますか?
地球は塵でできているのですよ。
一番初めに、宇宙の中のチリが集まり、
それがぐるぐる回っているうちに丸くかたまり、
やがて地球になったのです。

私は思いました。
でも、肝心のその塵はいったいどこから来たの?
チリが一番ではない。チリより先に何かがあったはず。
チリより先にいた誰かがその素を造ったのだ。
誰かって、誰なの? 
もしかしたら、それを神様って言うのかもしれない。
わたしは大発見をした。
---この大発見が胸からこぼれないように、
帰り道は平らな胸を押さえて家に帰った。

宇宙に限らず、時間や空間、物質や非物質、肉体や精神、等々。
全てのことがらに、人類には知ることのできない、重大な法則があるのだろう。

小学2年生のときの小さな発見を種子として大切に保存し、水やりをし、日光と酸素を与え、添え木をして助けてくれたのはアンデルセンやフランソワ.モーリャック、ドーデ、メリメ、ほかのたくさんの本、6年間過ごしたミッションスクール、シスターの佇まい、関わったいろいろな」人々、そして決定的なのは聖書でした。

土曜日, 8月 02, 2008

Thanks, you too.

昨夏は、お店で、
セクシーなウインクと一緒に
" Happy OBON(お盆) "と囁かれて、
日本人として足下がグラグラするのを覚えたけど、

月がかわったきのう、
" Happy August :) "と、ケイタイにメールがきた。

一瞬、目が点になりましたが、

そうかぁ、7月から8月に月が変わったし---
ことごとく" Happy!! "って祝し合うのか---と納得。

そこで、" Thanks, you too :) "と、返事をしたけど---
---was it right??

" Stay cool :) "って来れば、
" Thanks, you too :) "

" Keep cool :) "って来ても、
" Thanks, you too :) "

" Have a good night :) "にも、
" Thanks, you too :) "

and
" Hi Mayumi, IMA IKU air port, c u in 2 weeks "と来た。
ナゾ解きみたいですが---

ウーン、2週間も帰省するのね。
ちょっと寂しいね。

木曜日, 7月 31, 2008

陶器師と争わない陶器


先月、Marianaと一緒に三渓園の陶芸教室で造ったお鉢が焼き上がりました。

写真 by Stephen。

これはわたしの優れた腕と意に背いて、
少し歪んだ器となりましたが、
ひとつ良いところは、
決して文句を言わないことです。

「何故わたしを、カップにしなかったのか」とか、

「もっと、大きくしてくれればよかったのに--」とかって。

一見、知恵が無いようにみえても、
あなどってはいけません。

こんな風にすましていますが、
造り手であるわたしが、
愛による意志で、
時間(1時間)とお金(1,000円)を使って造ったのだ、
という事を、よーく知っているのです。

こう見えても、なかなかの知恵ものなんだから。


photo by Stephen Lebovits

木曜日, 7月 24, 2008

被造物であることの幸い

頭の上の空が、降ろうが 照ろうが
命あるものは みな過も不足もなく

それぞれ完全な姿を見せている。
自分が完全なものとして造られたということを
おそらくは知らないままで。

手も口もない
小さいものたちが

そのままの姿で
神との蜜月を
静かに 楽しげに 生きている。

photo by Remo. Peter. Marinelli


土曜日, 7月 12, 2008

地下鉄/渋谷駅で

家から駅までの道路が、川になるほど大雨が降った4-5日前の朝のこと。

地下鉄/渋谷駅で電車を降りたら、
通勤通学の人々が行き交う雑踏の中、
なんと、駅員があのどこでも500円で売っている”透明傘”をさして立っている。

What happened??
一瞬、自分の目の機能を疑った。

「ただいま、雨漏りしておりますので、お気をつけ下さい!!」

彼はくりかえしくりかえし叫びながら、
ドアから溢れ出てくるお客に傘を傾げている。

もう、必死ね。

ケイタイで写真を撮りたかったのだけど、
人ごみに遠慮して、できなかったのが心残りでしかたがない。

たとえド突かれても、わたしは撮るべきだった。

場面がどこか滑稽であったにも関わらず、
大まじめに任務を果たしている彼は
実にcuteだったもの。

火曜日, 6月 17, 2008

久々に陶芸を


マリアナの提案で、javascript:void(0)
横浜/三渓園脇の陶芸所で「一日体験コース」に参加。

わたしは実に28年ぶりの土いじりでした。

こういう時は、どうするのだっけ??と、
忘れている技もたくさんあったけど、
何とかまとめあげた。

耳のような取っ手のついた中鉢を手びねりでこしらえ、
白い釉薬を頼んできた。
2人分のサラダが入るお鉢ができる予定。

出来上がったら、サラダを入れる前に水を張って、
膨らんだ青ガエルのような布袋葵/Water hyacinth を浮かべ、
薄赤い色したメダカでも泳がせて、
------ゆっくり眺めようかな。


photo by Mayumi(a subject is nice looking, but i'm poor, sorry )








 

月曜日, 6月 09, 2008

梅雨だけど、桜



おそまきながら、今年の桜です。
この日は、カラッと晴れ上がった日でしたが---

今は、もう梅雨。

この篠つく雨の中、
うぐいすを一人ぼっちで留守番において、
家主はどこに出かけて行ったのでしょう?

駅前のドトールか、はたまた畑か。

トンボつりには、まだ早いでしょう?

電話の呼び出し音が家の中を走りまわっている。


あっ!雷が、また。
Oh, my GOD.

草餅





先週から、一週に一度、Blue Parrotで働く事になったマリアナ。
日本の田舎が好きで、日曜日に福島県で田植えをしてきた。

あぜみちで”よもぎ”を摘んで、
わたしにもおすそわけ。

さっそく草餅をつくった。

*よもぎをさっと茹でて、すり鉢でする。
*パックに入っている切り餅を水でぬらし、耐熱皿にいれて2〜3分電子レンジにかける。
*とろっとなった餅を、ヨモギの入ったすり鉢にいれ、はしで絡ませる。
*まるめて、あんこをのせれば、出来上がり。

ほんの少しなのに、
ヨモギの香りがお皿のまわりに濃く漂い、

あぜ道に座って食べているような気持ちになったわよ。

水曜日, 3月 19, 2008

「アイシテル」、と言わない彼

二ヶ月ぶりの更新。
I'm ashamed of myself.

ただいま GIANT SALE 真っ最中。
久々に、BENにお店に入って手伝ってもらった。
BENは、なかなか勉強家で、
日本語の単語帳も見るたびに、書き入れが増えている。

そこで、
「このごろ、日本語はいかが?」と、聞くと、
「トウニョウビョウが大好き!!」--と、言う。
「 What?」

BENは「トウニョウビョウ、はね---」と、腕を大波のように動かす。
ハハーン、わかった。言葉のうねりが好きなのね?

「トウニョウビョウは、Passionate!!。
ジコクヒョウ、シマウマ、ジャンケンポン、アイコデショ、ワンパク、も好きだよ」
ウーン。ナンとなく、わかる気がする。

「でも、日本語のアイシテイル、は Boring!」、とBENは言う。
「Why?」I asked him.
「 ”アイシテル”は too flat. ”I love you”も too flat!! 」
--と、顔をしかめて、肩をすくめる。

「じゃあ、youは なんて言うの? 大事な現場では」
「Je t' aim :)だよ」

「 ”I love you”じゃあなくて?」
「Yes, "Je t' aim "の方が、feeling が入るし、Passionがあるよ」
そこで、二人で言ってみた。

せーの、
「アイシテル」「 I love you」「Je t' aim 」

ウン、たしかに、BENの言う通り、
「Je t' aim 」の方が、心がはいるようだ。
今度、試してみようーっと。

その後、BENの持っていたパセリ味のカロリーメイトを、一緒に食べた。









 

水曜日, 1月 16, 2008

Both are same

At the end of the year,
I got some pieces of salmon.

I sliced, took out the bone and marinated it.
After that I served it to my old mam.
She said to me " WAO!, its nice salmon(KATAKANA in Japanese)"

Day after day, I broiled it and served to her.
She said to me.
"How delicious this SHAKE(solted salmon in Japanese) is !"

--Both are same(I mumbled)

Many many years ago, when I was a novice house wife.
Ones day I went to fish a shops
and spoke with the fish manager about salmon.
" Solted salmon is fished from sea,
and unsolted salmon is fished from river. isn't it? "

He was silent.
His mouth dropped open, but I never lost hope.

I thought.
" No problem, I understood why he didn't have anything to say.
He admired what great insight I had. That's OK--"

After that I spent a happy and carefree time,
until someone pointed out my mistake.

I'm ashamed of my limited knowledge.
Oh, my GOD!!