月曜日, 12月 14, 2009

お兄さん,どこ行くの?


今朝、出勤途上の地下鉄車内でのこと。座席が開いていたので座って本を読んでいたら、どことなく不自然な女の人のおしゃべりが、聞こえてきた。
声の感じと話し方からいくと、独り言のように聞こえるし、相手がいるようにも聞こえる。

こんな風だった---

声は可愛い印象を持たれることを狙ったモードに、スイッチが入っている。

「すいません、わたし、お酒臭いでしょう?」
返事聞こえず。
「これからバイトに行くんだけどォ、朝まで飲んでいたから、
わたしィ、お酒の匂いがしてェ、メイワクじゃあないかと思ってェ、----すいません」
「-----」
「お酒の匂いがすると、叱られるんですゥ-- だけど、休んじゃうとォ、お金もらえないしィ--」舌っ足らずだけど、話し方は景気がいい。
「----」
「エチケットブレスをたくさん食べたんだけどゥ--まだ、匂うでしょう?」
「いや、わからない---」
やっと相手の声が聞こえた。ボソッと返事をしている。学生かな?

「さっきまで飲んでいたんですよゥ」
「どのくらい飲んだの?」
「ビールを6本とォ、焼酎をなんとかかんとか--」
「すごいんだね」
「だから、お酒の匂いがするでしょう?」
 
返事聞こえずだが、
三軒茶屋駅で大勢の人が乗り込んできたので、
押されてふたりの物理的距離は縮まったのだろう。
女の声の大きさと質が変わる。

「お酒の匂いがすると怒られるんデスよ。オーナーは変わってる人だから--- それにエッチだし。あちこち触るんですよォ!!」
さっきの返事と、この話題なら相手は少なくとも中学生や高校生ではなさそうだ。
返事なし。賢明だ。

何かが視界に入ったらしい。また声の調子と位置が変わった。
頭を男の持っている物に近づけたのだろう。

「わあ!それなんですか?えーっ、ゲーム? 面白そうですねェ。お兄さん、ゲーム、好きなのォ?」
「ああ--」返事は小さな声だった。
「見せてェ」声が動いた。女の頭が相手に近付いたのだろう。

私はだんだん興味が湧いてきた。この声の主はいったいどんな人なんだろう?
彼女は座っている私の膝頭の右側に立っているので、少し首を上げて覗いてみることは 簡単だ。
声に「可愛い路線」を選んでいることが、彼女の背が低いことを予想させていたが、まさにその通りで、身長は150cmもないだろう。艶のない茶髪を無造作に背中に垂らした、これといった特徴のない普段着の服装と平凡な丸い顔をした35歳前後、というところだろうか。顔の部品やレイアウトは、はっきり言ってエレガントとは言い難い。

会話は続く--- .
「お兄さん、これからどこにいくのォ?」

これを聞いた私は読んでいた本をパタンと閉じてバッグに入れた。
手にしている本は「西行」の青年時代を述べているが、会話に気をとられてさっぱり頭に入らないし、こっちの方が断然面白そうだもの。

男は答える。
「秋葉原--」
「へえ--。何しに--? でも、この電車じゃあ、行けないでしょう? どこで乗りかえるの?」
「---ぼそぼそ---」
「わたし、今日バイトに行ってもお酒の匂いで叱られるから、行きたくないなあ--。でもそうすると、お金もらえないしィ---」

女はアルバイトに行かないことが可能であることを言っている。そして今日いちにちの稼ぎも必要だ、とも。

もう、耳がダンボになりそう、わたし---。


電車がスピードを落とし、ホームに入ったようだ。窓から白色の光が大量に入って来る。
もしかしたら、もう渋谷駅??

車内で何が起きているのか、何にも知らない東急電鉄のアナウンサーが叫ぶ。
「しぶゥやァ、しぶゥやァ、お降りのお客様は足もとに、云々---」

ああ、残念だ。この女がこれから何を言うか、そしてこの男の人がどういう反応をするかを見届けたい、が--わたしはここで降りなければならない。

電車を降りる時、せめても、と思い、すれ違いざまに「お兄さん」の顔を見た。

毛糸で編んだ帽子をかぶってゆるいジーンズをはき、白髪まじりの短いあごひげをはやした男だった。老人ではない。
混雑の中、二人とも渋谷では降りずに束になってドアの脇にへばりついていた。

この後、会話はどのように展開するのだろうか?

まさに桐野夏生ワールド。彼女だったらきっと面白いサスペンスを書くだろうに。


でも後で思った。わたし、深読みし過ぎかもしれない、と。

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